2008年02月08日

良い加減

さて、今日はかねてから言っていた、僕の教え子にむけての書き下ろし文章が完成したのです。
そこで、これを全文ここに発表いたします。
携帯ではすべて読めない人で読みたい人はメッセくださいませ〜

ちょっと長いんですが、僕の基本理念がわかるので、飽きなければ読んでみてください。

次回の日記の予告は、「昔にゴメンナサイ」です。
ただ、少年ジャンプの予告同様、あてが外れることの方が多いかも(笑)


ではお楽しみくださいませ。


「良い加減」


 ああ、終わった。受験が終わってしまった。僕は運よく志望校に合格できた。しかしこれで油断してはいけない。わずか三年後には大学受験という大きな山場がやってくるのだ。その来るべき日のためにも、僕は磐石の用意を敷いておかねばならない。よしさっそく英単語でも覚え始めるかな。


 このようないわゆる「受験の秀才」的な発想は実は珍しくない。僕の通っていた奈良学園は、県下では進学校だったので、このような発想の持ち主は多かったと思う。そしてこれは高校受験だけの話ではない。大学受験直後だって、似たような現象がおこる。


 中学受験(ないし高校受験)から大学受験、そして資格試験勉強か就職対策が多数派の一連の流れになっている。僕はこの道中をゆっくりながらも進んできているので、まず少なくともこの流れが間違いではないことだけは伝えておきたい。けして間違ってはいない。きみたち、勉強することは輝かしいものだ。これはこの前の激励でも言ったかもしれないが、勉強は試験のためのみにあらず(もちろん試験という実に有効な活用場所があるが)。


 数学は、ものごとの論理性と規則性を学ぶところから、この世の成り立ちまでつながっている高尚な学問である。ある観点からは学問の中枢ともいえる。次に理科は、毎日の生活のヒントをくれるところから、人類を震撼させる科学技術までつながっている。最先端の先にはおそろしいほどの巨大なエネルギーがある。社会について、社会はどのようなルールやイデオロギーの中(もしくは風土の中)で生きているのかを明らかにしているところから、人間の残した足跡すべてにつながる。これを知ることは、人間を知ることと同じかもしれない。そして国語と英語であるが、これは便利にコミュニケーションをとるという単純さから、人間の心理のめぐりにまでつながっている。これからの時代は、個と個が裸で向き合う時代である。コミュニケートの重要性は嫌というほど知ることになるだろう。


 どうだろうか。筆者が単純に切り取っただけではあるが、これを見ても勉強、とりわけ主要五教科の深遠さが伝わってはこないか。さらに加えて、音楽、書道、美術、体育、保険、家庭、技術、道徳、宗教等の各科目が存在する。これらの科目を加えた、「広義の勉強」は、われわれに直接利益をもたらすものであり、かつすばらしく奥が深くて神秘的なものなのだ。


 今の話を読んだだけでも、少しはわかるだろう。主要五教科以外に、まだ多くの科目があるのだ。では、科目以外に大事なものはないのだろうか。ある。それは確実にある。これを忘れてはいけない。勉強の大切さ、受験の重要性を強く認めている僕が、肯定するのだ。受験も大切だが、それに匹敵する大切なものがあるって。それは何か。


 たとえば、道を知らないことは無知だ。道を知っていても、その道の中でどこに面白い場所があるか知らないことはつまらない。面白い場所を知っていても、そこに近づく勇気がなければそれは臆病だ。そこに近づいたとしても、狙いどおり楽しめなければ全く何にもならない。もっと続けよう。歌をうまく歌えないと恥ずかしい。ジョークの一つが言えなければ、笑わせられない。悩む心がないと人間らしくない。明るかったり、悲しんだり、パソコンがうまくなるように願ったり、経済の勉強をしたり、アニメについて詳しくなったり、おしゃれに服を着てみたり…いろんな要素があって、この世は成り立っている。これを忘れてはいけない。


 もちろん、勉強はその中でも燦然ときらめく星のようなものだ。ひときわ重要なものだ。ただ、それができたからといって、幸せは常にはやってこない。いいですか、実は幸せはみなさんの近くのすぐそこにある。歌がうまく歌えたときの幸せ、自転車に乗れたときの幸せ、はたまた微分の問題が解けたときの幸せ、お茶がおいしい幸せ。


 幸せは、「幸せを感じる心」がなければ、感じられない。もし、自分にとっての得意が勉強だけだとしたら、勉強以外の分野で幸せを感じることはちょっと難しいかもしれない。たくさんの幸せを毎日に敷き詰めるために、勉強を筆頭として、勉強だけでなく全てのことに力を注いでほしい。精一杯おしゃれをして、精一杯パソコンを知り、精一杯ケンカに強くなってほしい。


 勉強しか出来ないものはつまらない。そしてその裏返しとして、勉強が出来ないのはかなしい。これは天秤の端同士のようなもので、どちらに立ってもバランスが崩れてしまうのだ。ちょうど真ん中の点を探さなければならない。これが僕の伝えたい一つ目のことである。


 ここで冒頭に挙げた例に戻ろう。「よし三年先を見据えて勉強しよう」というあの態度、間違ってはいないけれど、それでも完全な正解とは思えない。それはなぜか。


 君たちは勉強をするとき、どう感じているか。「嫌な時間だなあ」と思ってやしないか。「今苦労をしたら、いつか楽になれる」と思ってやしないか。こういう態度について反論がある。「今苦労しても、いつか楽になれるなんて嘘だ。だから勉強なんてつまらないことはやめて、青春をエンジョイしよう!」これである。だがかかる論説はおかしい。一笑につきる。先ほども書いたように、勉強には大きな魅力がある。それを捨てて、勉強以外のものだけをするなんていうことは(イチローなどの特にすぐれた専門人以外は)とてもバランスが悪い生き方だ。真ん中の点には立っていない。


 それに、もう一つ考えていただきたい。勉強をしたからといって、青春をエンジョイできないのか。勉強をしたからといって、つらいことばかりなのだろうか。「勉強をやめて青春をエンジョイ」は、勉強を苦痛としか考えられない人間の浅はかな理論である。


 「苦痛」この言葉が、僕の言いたいことについてのキーワードとなる。


 苦痛は嫌だ。避けるべきであると思える。すると人間はどうしても「自由になった未来のわたし」を想像してしまう。そう想像することによって、今を楽に生きようとする。だが、その態度はいただけない。未来にのみ思いをはせることにより、今ある苦痛だけでなく、今ある幸せをも消し去ってしまうからである。未来を想像することは悪くないが、未来にのみ逃避してはならない。そもそも、完全に自由な未来なんてない。僕は「大学受験に合格すれば自由になるよ」と周りの大人たちに教えられたので勉強をし、大学に合格した。しかしそんな自由なんて待っていなかった。バイト、授業、人間関係…気をやむことは多分にある。自由な未来なんて、幻想だ。


 僕たちは今のこの場所で、すべてを完結させないといけない。そうすることにより、今ある幸せに気づくことができる。もちろん苦痛だってある。でも、苦痛をも、しっかり味わうのだ。そう、味わう。喜びもかなしみも、今あるこの一瞬を味わうのだ。勉強のつらさを、かみしめる。好きな人にふられることのかなしさを、ゲームをしている無為な時間を、ぼーっとしている休息の時間を、心をつかって大切に味わわねばならない。


 青春に無駄な時間なんてない。勉強をしたことでも、友達と遊んだことでも、エロ動画をダウンロードしたことも、楽器を弾いたことも、空を眺めていたことも、ケンカをしたことも、なにもかもが「味わい」さえすれば、大事に輝く時間となる。


 もう一度繰り返そう。未来や過去を大事にすることはもちろん良い。だが、未来や過去に心を逃がしてはならない。今たったこのときを、僕ならば文章を打っていることのときを、きみたちはこれを読んでいるこのときを、心から味わわねばならない。あのとき「早く過ぎろ」と思った時間は、後々になって大事な大事な時間だったのだと気づくのだから。


 最後に今回の話をまとめよう。一つは、「天秤の真ん中に立て」である。何か一つに固執することはなく、バランス良く生きてほしい。しかしわれわれの時間は有限である。何もかもを奥深くまですることはできない。そこで一つのことに捕われないためにも、「良い加減」を知ってほしい。「いいかげん」にも通じるかもしれないが…ほどよい「良い加減」である。そしていろんなことの知識や経験を得た先に、「専門に生きる自分」が見つかる。そう、それはまだ先でいい。今は、いろんなことに目をむけてみてほしい。車、映画、女、物理、料理、筋トレ…心から大嫌いなもの以外には、ある程度の目をむけてみるのが良さそうだ。


 そしてもう一つ。良い時間も、悪い時間も、しっかりと「味わい」、今という一瞬を生き続けてほしい。どんなにくだらないと思える時間だって、全ては大切な時間である。


 どうだい、世界は知ったかぶりなんてできないだろう。僕は、ポケットにある携帯電話でなぜ情報を通信できるのか、いまだにわからない。僕たちが生きる世界のはしっこには一体何があるんだろう。今という時間の先にはどんな未来が待っているのだろう。すべての謎を解く鍵は、無限の荒野ではなく、今ここにある場所である。そして、永遠の時間ではなく、今感じるこのひと時である。
posted by 映画委員長 at 17:11| 奈良 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつもこちらの文章には共感させられます。ありがとうございます。
Posted by すね毛 at 2008年03月27日 00:22
>すね毛
コメントありがとうございます。
なんかうまく伝えられているか不安だったのですが、そう言っていただけると、とてもうれしいです!
Posted by 映画委員長 at 2008年04月02日 13:24
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