2007年09月09日

推薦入試

いよいよ今年も、学校推薦による大学入試がはじまろうとしている。
この推薦入試という代物は現在社会にとても浸透しており、かなりの受験生がこれを経験すると言っても過言ではない。

事実、近所の高校生はほとんど全員がこの入試で大学に進学したし、なにより僕の弟がこの入試を経験している。

ふと昔を思い出した。
うちの弟が推薦入試を希望するかしないかの話になったとき。
弟は成績が良かったので、推薦入試で決めることもできたが、別に一般入試で上のレベルを受験する手もあった。
僕は最後まで推薦に反対した。

いやなに、彼が通う近畿大学に文句があったわけではない。
推薦入試という受験方法が気にいらなかったからである。

推薦とは「入」ではあるかもしれない。
しかし、はたして「試」であろうか?試されているか?

一発勝負である試験を受けない以上、どうも何か試されたという気がしない。
推薦入試という言葉は嫌いだ。推薦入学じゃないか。

しかし弟の担任の先生が発した言葉も興味深い。
「推薦を楽な入試、簡単な入試と思わないように。推薦はやはり、成績のない子が志願したなら断ります。推薦を受けられるということは、あなたが三年間でいっしょうけんめい勉強した成果があるからこそなのですよ。その点で推薦はたやすいものではないのです」

なるほど。
それはその通りだと思う。運で決まったわけではない。
ただ、推薦の数が激増し、成績中位の者まで推薦で合格している状況はいただけない。
このままだと、本試験という制度が廃れてゆくのではないか。
成績中位から下位の者までが推薦で決まる結果になるのではないか。

僕は、自分が推薦を受けていないから悔しくて言うのではない。
二十歳になろうという大事な充実期に、ある試験場において、自分の一挙手一投足が人生を左右する(決定するという意味ではない)という緊張を経験するのも一興だと考えているのである。
ちょっと古風な考えに思えるが、そうではない。

自分の力が自分の運命を左右するという状況は非常におもしろい。
成功しなくたって、いい反省になる。
僕は一年で受かることができずに浪人した。
自分のバカさ加減をよく知った。
なにより、たった数時間で自分が判断されるという理不尽がいい。
面接なんかほんの数分だもんな。

世の中の人々が他人をみることなんて、ほんのわずかである。
他人を認識はすれども、他人を評価しようと本気になるなんて、この人生において、奇跡のようにわずかな時間しかない。
その理不尽ともいえる、かなしくあたたかい人間性の結晶を高校生に味わってほしいのだ。

ところでこれは余談であるが、昔から受験勉強にガツガツすることはあまり好きではない。
おもしろおかしく過ごしている人間にだって、受験に成功する奴はごまんといる。

自分に苦心を課すだけならば良いことなのだが、他人にそれを持ち込まないでほしい(バイト上、生徒からの相談は歓迎するが)。
どうせ将来使わない知識を覚えんだ。
もっとニコニコやろうじゃないか。

明日のために今を苦しむのではなく、明日の準備もしながら今を楽しまねばならない。
posted by 映画委員長 at 06:58| 奈良 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
俺は推薦入試を認めない。たしかに努力をしたのは認めるし、すごいと思う。ただ、努力したって身にならなかったら意味がないのだよ。努力は金にならない、結果が金になる。で、「結果」を得る機会ってのは大概は一発限り。二度目はない。
Posted by デブリーマン at 2007年09月15日 11:21
>喪黒福蔵
結果を得る機会は一発限りですが、類似した他の機会において、努力した経験がモノになるときもあります。
しかし人生は不条理、理不尽、ギギギ。

ところで、努力した状態とは、勝負において優勢ですよね。
しかし、アカギも言ってたが、優勢と勝利(=結果)は違う。ククク。
Posted by 映画委員長 at 2007年09月15日 13:29
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