2006年09月01日

なにかしようよ

夏が終わってしまった。大好きな夏が。



これからは極寒の死の季節。俺から大好きな夏を奪った秋とやら、恋人をかっさらった恋敵のように憎むべき季節だ。くそったれ。



夏は何をしただろう。俺は常に何かをしていたような気がする。だから、過ぎ去ったとしても、なんの後悔もない。ほんとに、いろんなことをした。たくさんのことをした。



ただ、それはけして「多忙」だとか、「落ち着きがない」だとかいう言葉で表現されるものではない。そんな弱弱しく、眉間にしわをよせる言葉ではなく、もっと輝くような言葉が花嫁のライスシャワーのようにお似合いだ。



過労ではなかった。スポーツを思い出してほしい。試合をやりきって、恍惚とするスポーツ選手は、落ち着きなく映るだろうか。多忙に思われるであろうか。いや、そんなことはない。もっともっと、次の自分を目指してすすむものではないだろうか。



その通り。僕は夏にたくさんのことをした。しかし、僕はまだまだしたいことがあるし、やるべきことがある。それを皮肉にも秋という季節に託す。憎むべき秋よ、不本意ではあるが、さらなる輝きの時間を僕に与えてくれ。



なにかしないといけない。今の青春をこのまま過ぎ去る水に溶かしてはいけない。僕はもっともっと何かをしないと。でないと、失われたあの日を取り戻せない。僕がもっともっと、もうちょっと若かった、あの日に置いた忘れ物を、僕は拾いに行かなければならない。



なにかしようよ。それはくだらないことだってかまわない。自分がそれで後悔しなかったり、また、過去にやり残したことを補完するものであれば、それはなんでもいい。



なにかしようよ。自分がやるべきことから目をそらすのではなく、自分のやるべきことだけを見続けるのではなく。



なにかしようじゃないか。いつまでも軟らかい心に、刻み込めるような何かを。戦いであったり、甘いひとときであったり、季節を感じたりするものであったり。いろんな形をとるものではあるけど。



なにかしようじゃないか。懐かしい誰かに会ったり、部屋でいつまでも寝続けたり、読みたかった本を本棚から引っ張り出したり、参考書を開いたり。
何をすればいいのだろうか。怠ければいいのか、頑張ればいいのか。なにかをするとはどういうことだろうか。



それは、一つ一つ、あなたのやっていることを逐一心に残していくことだ。いまやっていることを、するめいかを味わう舌のように、胸にしみこませていくことだ。いやーな気持ちになる仕事ってやつ、気分じゃないのに目を通すべき誰かの文章、背伸びしてまで挑戦してみる人間関係。それらは一見いやーなものだ。



しかし、心に溶かせば、それはいやーなことでも同じ。心に溶かしたものは、いつもきれいにキラキラとする「なにか」ってやつ。



いやーなことでもいいじゃない。あの日あの時、今の歳のあなたが確かにやっていたことなのだ。二十年、三十年がたったとき、疑ったとしても、まがいもない過去の真実であったことなのだ。今日、あなたは仕事をして、若いあなたはいやーなことを胸に刻みつけて生きてきたのだ。



それは「なにか」に他ならない。いまのどんなことも、やろうと思えばなんだって胸に刻める。僕はいつも思っている。迷ったり、間違ったり、曲げたりしたとき、だるいなと思ったり、思い通りにならないなと感じたとき、それは全て24歳だった僕が感じたことだと思って、なにかをする。



44歳の僕がうらやむであろう歳。54歳の僕ならもっとうらやむであろう歳。それが今、僕の手の中にある。だから、いやーなことも、とびっきりの瞬間だ。それはあなたも変わらない。28歳のあなたを、48歳のあなたはうらやむだろう。32歳のあなたを、52歳のあなたはうらやむだろう。



いやーな季節、秋。僕はその時期だって、もっともっと毎日をいい日にしたい。そのために、なにかしようじゃないか。そうすれば、たまに飲む麦茶も、くわえる煙草も、より深くおいしい味がするのではないか。



とりあえず、夏に対して、シーユーアゲイン。
posted by 映画委員長 at 00:09| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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