2006年10月24日

オンリーワンとナンバーワン

数年前に、スマップの「世界に一つだけの花」という曲がヒットしました。音楽業界的には久しぶりのヒットだったらしく、紅白のトリもその曲がつとめていました。



その歌詞の中にある有名なフレーズが、「ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別なオンリーワン」というものです。



このフレーズ、多くの小中高校で教材として使われたらしいです。なるほど、わからなくはない。ナンバーワンを目指せ、と教育すると、実際にナンバーワンになった者以外は不快な思いをするでしょう。そう考えると、「全員がオンリーワン」とほめたてた方が、精神教育上、いいことかもしれません。



ただ、個人的にはこの考えはいただけません。それだと、向上心がなくなってしまう。だから僕は自分自身について、「オンリーワンなのだから」と納得することはないのです。やっぱり、どんなことについても勝ちたい。それに見合う努力ができているかと問われると頭を掻いてしまうのですが、そういう気持ちはある。そして、そういう気持ちを持ち続けていること自体、僕は美徳だとすら思っているのです。



いつでも自分の中の種火は消さないほうがいいのです。ここで種火というのは、勝負に対する「勝ちたい。ナンバーワンになりたい」という心のこと。



種火は、いろんなことで消えてしまいそうです。あきらめ、慢心、不安、混乱…でも、負けたくない気持ちは消してはいけないのです。僕の勝負哲学上、「勝ち」の概念をこう定義しています。



たとえば、麻雀なり勉強なりスポーツなりで、そいつに一回勝っただけではほんとうの勝ちとは言えないのです。そいつに、「あ、オレは二度とこの人に勝てない」と思わせたときこそが、ほんとうの勝ちなのです。



種火を消すとは、「もう二度と勝てない」と思うこと。そして、「もう十分に勝った」と勘違いすること。これらをやってはいけない。



で、長々とオンリーワン批判をしたのですが、ナンバーワン批判もさせていただきたい。



僕はね、勝負事は最後の最後まで続くと思っているのです。ナンバーワンだけを考えるのならば、ナンバーワンになれないと思った時点で勝負を降りればいいのでしょう?でも、それは軽率だし、脆弱。



勝負というのはそういうことではない。一番が無理なら、二番を狙う。二番が無理なら、三番を狙う。そういうものでしょう。だから僕は塾の生徒にこう教えているんです。



「何も書かなかったやつより、問題だけでも写したやつの方がえらい。問題を写しただけのやつよりも、解答をうつしたやつがえらい。解答をうつしたやつよりも、解答を見ながら考えてみたやつの方がえらい。みな同じ不正解だとしても、それらは同列じゃない。一行書くより、二行書いたほうがえらい。90分の授業で、一分間しか話を聞かなかったやつより、二分間聞いたやつの方が前にすすむ」



もちろん、勝負をする以上は一番を狙うべきです。しかし、一番が無理だからといって、おりることが勝負ではない。一番が無理なら、二番を狙えばいい。その点で、勝負はナンバーワンをのみ考えるものではない。



勝負について哲学をもつことは、いいことだけれども、接しにくい人間だという印象をも与えてしまう弊害がある。まわりの人をひかさないように。そこで、勝負勘を確立しながらも、それを表に出さない人間がのぞましい。みんなといるときは、それ用に態度を保てる人間がのぞましい。僕は今、そういう人間になろうと思っているのです。
posted by 映画委員長 at 13:18| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月19日

けしからん、実にけしからん

先日、僕のパソコンがいかれた。弟のパソコンもいかれた。しかも素人の僕にはどうにもこうにも直しようがない。パソコンの「ヘルプ」をひらいても、そこにはわけのわからない用語が並ぶばかり。



プロトコル?
ダイヤルアップ?
ブリッジ?



満をじして業者のサポートセンターに電話することにした。まず、KCNに電話をして、症状を話したところ、KCNは三十分もかけて適切にアドヴァイスをくれた。そして、弟のパソコンは回復するに至った。



だが、僕のパソコンを復旧させる段階で難儀なことが起こった。どうも僕のパソコンは無線ランそのものがいかれているらしい。そこで無線ランのバッファローに電話するように指示をもらった。



土曜日にバッファローに電話をかけた。二時間くらいかけて、30回くらい電話したが、一回もつながらなかった。そこで、水曜日の朝にバッファローにもう一度電話をした。今度はつながった。しかし。



バッファローが言うには、IPなんたらプロトコルの取得ができていないらしい。そこで、パソコンのメーカーに電話をするように指示を受けた。わずか一分の対応である。



「自分で調べることはできないのですか?」とも聞いた。しかし、それに対しての回答は「とにかくメーカーに電話してください」とのこと。おかしいじゃないか。日本語的に適切な回答とはいえない。自分で調べることができるかどうかを聞いているのだ。



仕方なく、富士通サポートに電話をしようとした。すると、富士通のなんたらメンバーに登録しないと、サポートは受けられないとのこと。おまけのそのメンバー加入は葉書を通してしかできない。僕は非常に疲れた。なんだかパソコンを苦手とする人を、邪魔者扱いするようで。



どこのサポートもこんな感じなんだろうか?いや、KCNは違った。僕の関係ない質問にも、明朗に答えてくれた。バッファローの対応は人間味がなく、実にけしからん。



ずうっと前のこと。僕が自転車を最寄の駐輪場にとめようとしたときのこと。スペースが空いていたので、僕はそこに自転車を持っていこうとした。駐輪場のおじさんは僕の行動をはじめからじっと見ていた。そして、さあ鍵をかける段になって、こう言った。



「おいこら、そことめんな」



僕は嫌なことがあった日の夜だったので、むかっときて、反論した。



「客においこらと言うのはどういうことだ」
「なぜ最初から注意しないんだ」
「間違ったとこにとめても、それを動かすのが仕事じゃないのか」



おっさんは「何ゆっとんねん」みたいなことを言って、奥の部屋に入っていった。追いかけようかと思ったが、もう十分文句を言ったので、それはやめておいた。客商売ということを忘れ、地元の駐輪場のおっさんの一部は常に見下してしゃべってくる。中にはいい人もいるんだけどね。一部は、けしからん。



この前、電車の中で、おっさんが若い会社員に注意されていた。



「こらおっさん、携帯さわんなや」
「なんでーな、別に電話してへんやんか」
「アホか、マナー考えろや」



おっさんはワハハと笑った。おっさんがメールしている場所は、別に携帯を触ってもよい場所だ。優先座席の近くなどではない。



「何笑っとんねん」
「あほな、アンタ、誰がどう聞いても笑うで。おかしいやないか」
二人は高田駅で降りていって、ケンカをしていた。



僕自身の話もある。話している声がでかいと注意している人を見たことも、僕自身がされたこともある。酔っ払いのおっさんに携帯さわるなと携帯を奪われて、床に投げつけられたこともある。



マナーを建前に、人に注意をする人間、僕はよく理解できない。人に注意をするということは、どれだけ注意される人間を不快にするか。それをよく考えてから注意にうつしてほしい。僕は人間は小さな迷惑をかけあって生きているものだと思う。マナーがすすむにつれ、マナー以上に失うものも存在する。



まあ、まとめとして一言。これまでのけしからん事例を読むにつけ、一つのことがわかるだろう。人は心を大事にする生き物だということだ。人が人たるゆえんは、その人間たる複雑な感情にある。それを忘れ、合理主義だか個人主義だか知らないが、自分にとっていいことだけを求めると、えらくしんどい社会になる。情けは人のためならず。自分のためだと思って、そして相手の心を考えた上で物事に接したいものである。僕について言えば、目下それは修行中で、ほとんどなされていない。だから時には、不合理な選択肢も追ってみようと考えたりもする。
posted by 映画委員長 at 13:27| 奈良 ☀| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月16日

数学がどうしてもわからん

僕は数学が得意だ。正しくは、「得意だった」。それはもう、とんでもなくできた。阪大法学部に、僕より数学ができた人間はいないだろう。数学のおかげで中学受験(算数)もうまくいったし、大学も通ったようなものだ。



で、今、塾の先生として高校生に数学を教えている。これがもう、とんでもなくデキがよくない。中にはできる子もいるんだけど、「何をやったらいいのかわからない」という子が大部分を占めている。



計算力もよろしくない。たとえば、31×19とか、7の4乗なんてのが暗算できない。そんなものできるか!と思う人もいるかもしれないが、やっぱり大学受験でそこそこのレベルを狙おうと思えば、そのくらいの計算力は必要なのだ。



ときに僕はぐったりしてしまう。どうしてこんな単純な問題が一度でできないのか。そもそもやる気がないんじゃないのか。いや、きっとそうだ。そんな風に自己完結してしまう。そして哀れみに近い感情をもってしまう。



話はかわるけど、僕はパソコン(特にシステムについて)が苦手だ。車の運転も苦手だ。パソコン用語は基本的なものはわからないし、車庫入れなんてカン以外の何者でもない。



昔、パソコンが得意な友達にパソコンについて聞いたことがある。すると、すごく嫌そうな態度で、「なんでこんなのもわかんないの」みたいな雰囲気だった。そして彼は(何人かに聞いたから「彼らは」かな)、自己完結で問題を終わらせたりうやむやにしたりしていた。実に腹立たしかった。



車の運転についての話もある。僕が失敗すると、「危ない」「怖い」と言われる。そして僕がイライラしだすので、気を使うようになる。それから最後には哀れむような態度になる。実になさけない気持ちになった。



そういえば、英語の例もある。僕は英語が極端に苦手だ。で、英語ができる奴に対しておどけて英語で話しかけたりすると、すぐに文法や単語のミスを指摘する。そして、カラオケで洋楽を歌うと、発音のミスを指摘される。とてもやりにくい。



ここまでの話について、けして相手の人が悪いわけではない。もともとパソコンには「ヘルプ」機能があるし、自分でも時間をかければできる。車は「動く凶器」と呼ばれるようにとても危ないものだ。英語についても、コミュニケーションの道具なのだからと、正しく訂正してくれたのだろう。



その気持ちはわかる。



しかし、あまりやさしくない。どこかに「自分はできる」という意識が残っている。それが、僕にはよくわかる。簡単なことを当然のように言ったり、哀れんだり、細かい上級のことを指摘すること。それは強者の論理の正解であって、弱者の立場に立っていない。



そして僕もやさしくない。数学について、同じことをしている。麻雀について、同じことをしている。そのほかのことについても、僕と比べて相対的弱者(パソコンに関して、僕と親の関係など)に対して、同じことをしている。



今日の話は、僕が最近なにかいらだったという話ではない。数学を教えていて、ふと、そういうことに気づいたということだ。そうだ、自分より弱者については、適切に、そしてけして哀れまず、話に接してやる必要がある。数学がわからんのならば、どうしたってわからんのだ。僕にもどうしてもわからんことは山ほどあるのだ。別におかしいことじゃない。



勝手に「ふつう」を作り上げて、「ふつうはできることだぞ」とか言って、できないことについてマイナスイメージを与えてはいけない。僕だってできない。だから、できるようになろうじゃないか。できるようになるまでは、苦しい。心が高ぶることも、不安になることも、投げ出したくなることもある。でも、できるようになりたいとはじめに思ったならば、できるようになろうじゃないか。みなおんなじなのだ。
posted by 映画委員長 at 14:08| 奈良 ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月13日

CDを漁るということ

服を見るのはいいことだ。
「この服と、家にあるジャケット、合うだろうなあー」
と考えると、幼い頃のレゴブロックのようにわくわくする。



本を探すのもいいことだ。
法律書、漫画、麻雀の本、タウン雑誌、映画の本。
たくさんのコーナーをうろうろできる。見つけた本は、はやく本棚に並べてやりたいな、と思う。



しかし、それと同じくらい楽しいこと、それがCD漁りというものだ。
では今日は、僕流のCD漁りを紹介しようと思う。




1、まず店舗に入る。



適当なレコード屋さんではいけない。タワレコのように、大きい店舗でないと。さらに大事な点を付け加えておくと、試聴が充実していること、これが大事。




2、邦楽コーナーへ行く。



邦楽コーナーでは何も買わない。すぐにレンタルで出るからだ。レンタルで借りると、半額デーなら150円。CDRが100円、歌詞コピーが150円。つまり、400円でおつりがくるくらいの値段でCDが手に入るのだ。



ゆえに、邦楽を新品で買うなんてやってられない。しかし唯一、新品で買うケースがある。それはなんだろうか。ここは読者諸君に考えていただきたい。まあ、クイズのようなものだ。



だから僕はブックオフなどの中古店でも、350円以下の値段でしかCDは買わない。もしくはもはやレンタルショップに置かれなくなったマニアックなCDや古いCDなど。



では、邦楽コーナーで何をすればよいのか。それは、リリース状況を把握することである。それによって、今後レンタルするときの助けとなる。




3、洋楽コーナーへ行く。



ここからがメイン。洋楽は一年たたないとレンタルが開始しない。また、マニアックなCDはレンタル屋に置かれないのだ。相対的に考えても、圧倒的に邦楽の入荷の方が洋楽の入荷よりも多い。だから、僕は洋楽をほぼ新品で買うことにしている。



もちろんそこに並ぶのは僕の知らないミュージシャンばかり。そこで、試聴が重要になってくるのだ。ちなみに女の子と一緒に行くと、たいていこのあたりで飽きだす。




4、試聴。



僕は基本的に、全てのCD(ヒップホップ、トランス、ポップス除く)を試聴する。ではどのようにして、膨大な種類のCDの中から、買うにいたるCDを選び出すのか。それを本邦初公開しようと思う。



@まず、ジャンルで切る。




僕が探しているのは、ロック、パンク以上のものである。ゆえにヒップホップなどのジャンルは試聴すらしない。



Aシングル曲、アルバムタイトル曲、一曲目を聴く。




シングル→アルバムタイトル→一曲目 の重さで、一曲聴いてみる。ここで僕の心をつかまないようじゃだめだ。残った曲もくだらないに決まっている。ほんとうにくだらないかどうかは知らないが、まあ、全部聴いていたらキリがないので、こうする。



なぜ一曲目なのか。それは、たいがいのアーティストは一曲目にいい曲をもってくる傾向が高いからだ。ビジネス上の事情ってやつだ。



B適当に一曲を選び、聴いてみる。




僕の心に残る一曲を有していたCDであっても、他の曲はクソかもしれない。そこで、適当に一曲を選び、聴いてみる。ここでは一回のミスは許される。一回聴いてみて、「なんだこれは」と思っても、もう一曲選んで聴いてみる。つまり、追試制度を設けている。



Cジャケット、値段を調べる。




別にジャケットや値段を本格的に考慮に入れようってわけじゃない。あまりにセンスがなさすぎるジャケットや、あまりに高額なCD(洋楽なら2500円以下のはず)は、ここでカットされる。



だいたいここまでの過程で、CDは2〜3枚にしぼられる。あとは財布の中身との問題で、何枚買うか決めるのだ。もちろん、たったの一枚も候補に残らないケースだってある。むしろ、それはけっこう多い。



最後に、最近CD漁りをしたときの話をしておしまいにしよう。



奈良のダイヤモンドシティ。その中にタワーレコードがある。僕はふとそこに出向き、CD漁りをはじめた。



最初はポップパンクみたいなジャンルを聴いていた。フンフン♪とゴキゲン。なんかピアノロックみたいなアーティスト(サムシングコーポレイトでも、ジャックスマネキンでもないよ)を見つけた。



おおー、いいじゃないか。



このコーナーの主な歌詞↓
「輝く夕陽に…」とか、
「僕はここでずっとあなたを待っている…」とか、
「パンケーキを半分こしようと思いながら…」とか。



このコーナーの主な帯(CDケースの端っこに巻いてある紙)↓
「キラキラ光るメロディが…」とか、
「一度聴いたら忘れない!キャッチーでメロディアスな…」とか、
「突如あらわれた才能…」とか。



それから、ちょっとロックなコーナーに移動した。
いろいろ試聴したけど、アイアンメイデンとか、シュガーカルトの新譜がとても良かった。十一月にまた見つけたら購入したいと思っている。



このコーナーの主な歌詞↓
「俺たちは荒れ果てた荒野を…」とか、
「信じるものは自分しかいない…」とか、
「お前のアネキが男と消えた夜更けに…」とか。



このコーナーの主な帯↓
「王者君臨…」とか、
「永い眠りを経て…」とか、
「荒れ狂う嵐のようなメロディ…」とか。



で、最後にデスメタルとかそういうジャンルの試聴コーナーに行った。
デスメタルという音楽は爆音が似合う。僕はボリュームをひねり、ガンガンいわせて音楽を聴いていた。響くヴォーカルの低音、スパンスパンとドラムの音。



ふと気がつくと、まわりの客がこちらをちらちら見ている。はて、僕は何かしたかしらん。そりゃ、多少は音漏れするだろうけどさ。



おもむろにヘッドフォンをはずすと…



店内には、コブクロの楽曲がさわやかに流れていた。



「明日へと歩いてゆこうぜ」みたいな歌詞を乗せて。



ああ…ごめん…



このコーナーの主な歌詞↓
「内臓に巣食う蟲がお前の毛細血管をぶつ切りにしてゆく…」とか、
「肉塊のように転がる精神、そこにあるのは蹂躙だけ…」とか、
「学校のマドンナを強姦した奴がいる。僕は今夜そいつを強姦する…」とか。



このコーナーの主な帯↓
「メタルの聖戦が始まった。世界最速の…」とか、
「神々が解き放ったメロディが、今、封印を破った…」とか、
「グロデスクの仮面を贈る悪魔が…」とか。



…ほんと、ごめん…
posted by 映画委員長 at 16:30| 奈良 ☀| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月05日

結果無価値と行為無価値

こんにちは。久しぶりの更新となります。今日は大阪大学大学院高等司法研究科からお届けします。



いよいよ法科大学院の後期の授業がはじまりました。いやー、夏に遊んでバイトしたぶん、がんばらないと。まあ僕の人生は中学受験だって、大学受験だって、追い込み型でしたので。ゴールはまだまだ先です。隣に見える風景もあれば、出会う人もいます。のんびり、そしてゴール前の直線では稲妻のようなレースを見せたいと思います。



それにしても夏は遊んだなあ。四国にも山陰にも三重にも旅行に行ったし、日本海に泳ぎにも行った。まだ青春しているような、ハッピーな夏だった。夏期講習があったのでバイト代がたくさん入った。まあこれは定期代65000円と毎月の携帯代15000円と教科書代15000円に溶けたんですけどね。ともあれ勉強はしていない。



さて、最近悩んでいることがあります。これがブログのタイトルとなっているものです。日本の刑法学者は大きく二つの考えに対立を見せています。それが「結果無価値」と「行為無価値」と呼ばれる対立です。



「結果無価値」は結果をのみ見るんです。極端になれば、殺す気はなかったのに、あやまって人をあやめてしまった場合はアウト。残虐に一人殺すも、親の敵で一人殺すも同じ。そんなもん。



「行為無価値」は行為する人の心を見るんです。だから、「こいつの財布をすってやろう」と考えただけでダメ。極端な論ではね。実際はそんなことでつかまらないですよ。



で、それぞれ教科書が違うんですが、どちらの教科書を用意しようか迷っています。個人的には結果無価値なんだ。やっぱり人が間違いを犯したならば、結果によって判断されるべき。でも、日本の法律家の実務は行為無価値なんです。行為無価値の方が答案書きやすいらしいし、阪大の授業も行為無価値。そのかわり結果無価値の本はもうもってるから、結果無価値をとるなら、本を買う必要はない。



行為無価値の本、探したんですけどね、基本的にこれまでノーマークだったので(法曹を目指すとか考えてなかったので)、いい本がわかりません。



どうしよう。途方に暮れておるのだ。



まあ話はズレますけど、この結果無価値と行為無価値の対立、普通の生活でもありますよね。たとえばさ…



A「なんで待ち合わせ遅れたん!?」
B「いや、電車がさ、事故でストップして…」
これに対しての答えが、



A「はぁ?意味わからんし。言い訳せんとってや」と言えば、結果無価値。
A「そっかー、事情あってんな。たいへんやったね」と言えば、行為無価値。



ほかにも…



A「今、タバコポイ捨てしようとしたやろー」
B「思ったけど、でも結局ポイ捨てしなかったよ」
これに対しての答えが、



A「そっか、まあせえへんかってんやったらオッケー」ならば結果無価値。
A「やっぱりそう思ったんや。最悪やな」ならば行為無価値。



日常の人に接するときの考え方に使えますよね。あなたは結果無価値?それとも行為無価値?僕は結果無価値。その方がスッキリと判断できるから。それに人の心はわからないから。推測したようでも、嘘ってものがあるから。



注釈だけど、結果無価値の人も、行為無価値の人も、互いを非難しあっているだけではなく、ちゃんとお互いのいいところを研究しあって取り込んでいってるんだよ。
posted by 映画委員長 at 14:46| 奈良 ☔| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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